私はワゴンで運ばれる数々の小皿を、プーアール茶でがばがばと胃袋に放り込んでいた。そんな私を香港の実業家であるビルオーナーはどんな目で見ていたのであろうか、今から考えると恥ずかしい限りである。

私は香港に来てから知り合った香港人女性と同棲し、そこそこ広東語が出来るようになっていた。社長との会話もほとんど広東語で通した。

社長は私の生い立ちや職歴などを優しい口調で尋ね、私は失敗談と学んだ事を正直に話した。

すると、社長から突然、「香港に残り、私の会社に来ないか?」という申し出があった。

「私は簡単な日本料理しかできませんが、何をするのでしょうか」と質問すると、「これからは中国大陸から香港に大量の人がやってくる。彼らに日本の良さを伝えるだけでいい。私の質問にだけ回答して、指示通り日本とのパイプ役になるだけでいい」。

付き合っていた香港女性(今の妻)とも別れたく無かったこともあり、「やります。なんでもやります。よろしくお願いします」と即答してしまった。高校もバイク事故で中退している私の無鉄砲さがここでも発揮された。

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