【これは、健康な時期に考えておくべき問題であり、相続について考える前の課題かもしれません。】
おはようございます。
月曜日の朝から少し重いお話となり恐縮ですが、「尊厳死」「安楽死」「リビングウィル」「終末期医療」に関する多くのご質問やご意見をいただきました。
宗教的な信念や思想をお持ちの方からは、「死の選択権は運命に委ねるべきだ」という反論が寄せられる一方、「死ぬ権利は個人に属するものだ」との声もいただいています。
私は法律の専門家ではありませんが、このテーマについて自問してみました。
権利と義務が表裏一体の関係にあるとすれば、生きる権利には生きることで生じる義務が伴います。
それでは、「死ぬ権利」にはどのような義務が生じるのでしょうか?
皆さんはこのことについて考えたことがあるでしょうか?
数十秒でもかまいませんので、少し考えてみてください。
この問いは、きっと皆さんの人生観をより豊かにするはずです。
私たち医療従事者は、「尊厳死」「安楽死」「リビングウィル」「終末期医療」を巡る議論において、一石を投じることができると信じています。
「死を選ぶ権利」という言葉は、しばしば自殺の肯定に繋がる危険性を孕んでいます。