リー首相は、シンガポールの成長を「知性と遺伝」によるものと捉え、国民の知識レベルを体系化し、それを実践しました。
驚くべきは、優秀な人々の出産率が低下しないようにしたことです。
1982年までに、大学卒業の女性と非大学卒業の女性との間で, 出産数の格差が広がっていました。
大学卒業の女性は多くが独身で、既婚者であっても子供の数は, 学歴の低い既婚者より平均して少なかったのです。
この傾向が続けば、シンガポールの人間の才能が衰退し、活気ある経済が行き詰まると推測したリー首相は、優秀な女性に手厚い支援を速攻で実行しました。
これは、男女平等を謳いつつも、親の学歴や知識レベルによって次世代のシンガポール国民の能力が決まるという考え方です。
まるで、競馬のサラブレッドのようなものです。
シンガポールは、エリート5%が国を運営し、残りの95%がその政策に従う政策で、その人材は遺伝によって継続しなければならないという国策を実施したということでもあります。
これを先進国で実施したら差別と捉えられ、大問題になる政策です。
しかし、現在のところシンガポールの経済成長は「アジアの奇跡」とも称され、この差別的な政策が功を奏したと国民は理解しています。
一方で、「したたかな差別」も存在しています。