連休中の外国為替市場は為替介入に翻弄されました。

セレンを愛読していただいている日本の金融機関(銀行、証券、保険)の役員レベルの方からも、問い合わせが届いております。

 

本日は、その中から為替介入の権限に関連した質問についてSnow White氏に回答してもらいました。2回にわけて配信いたします。

 

日本の経済メディアでは、このように整理し説明された記事を読むことはです。

その理由は、国際金融の現場にいない、大手欧米投資家と直接対話できない、経済学を理論と実勢で理解するには限界があるからです。

 

以前提供した「外国為替の基礎知識」(下段掲載)の記事と共に、これらを読んでいただき、永久知識として頂ければ幸いです。

 

質問1:為替政策が財務省・金融政策を日本銀行が権限を持っていますが、何故分けているのでしょうか?

分権することによるメリット・デメリットを教えてください。

公的機関の権限は全て法律で規定されています。

 

このため、この問題に回答するには、少し長くなりますが、日本銀行法(1997年改正、1998年施行)について説明する必要があります

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=409AC0000000089_20220617_504AC0000000068

日銀法改正により、日銀は金融政策運営の独立性を初めて獲得しました。

それ以前の日銀は政府の強い影響下に置かれ、大蔵省の監督権・業務命令権や政府による役員解任権などの規定がありました。

 

日銀法改正の背景としては、

(1)1980年代後半のバブルに対する反省、

(2)欧州での中央銀行の独立性強化の流れ(1998年に欧州中央銀行〔ECB〕の創設、1997年にイングランド銀行〔BoE〕が大蔵省から独立)、

(3)1990年代の大蔵省の不祥事への国民の反発(1998年に金融監督庁創設、2000年に大蔵省の金融監督機能を分離して金融庁設立、2001年に大蔵省を財務省へ改名)、という3点が挙げられます。

 

新日銀法の第2条では、「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資する」ことが日銀の目的として定められています。

一方、為替介入の権限は法改正前と同様に政府が持ち、日銀は「国の事務の取扱いをする者」(第40条第2項)、すなわち「代理人」としての権限しか与えられていません。

 

その理由について、1997年の金融制度調査会の結論は以下のようなものでした。

金融政策の目標を、物価の安定ではなく、通貨価値の安定とする考え方もある。しかし、通貨価値には、対内的価値である物価と対外的価値である為替レートの2つの側面があり、こうした2つの目標を、金融政策という1つの経済手段で追求する場合、利益相反が生じうることは、理論や過去の経験が示すところである。従って、金融政策の目標は、通貨価値の安定とせず、物価の安定とすることが適当と判断したところである。

つまり、日銀は通貨の「対内的価値」の安定にのみ責任を持ち、「対外的価値」については利益相反が生じることもありうるので、直接の責任対象とはしない、ということです。

 

ここで言う利益相反の「過去の経験」とは、1985年のプラザ合意に伴う円高や1987年のブラック・マンデーを受けて日銀が1980年代後半に低金利政策を維持し、結果的にバブルを招いたことを指しています。

 

以上を整理すると、1990年代に

(1)バブル崩壊、

(2)欧州の中銀独立の流れ、

(3)大蔵省批判

というムードのなか、日銀は悲願だった金融政策の独立を手にしたのですが、1980年代に円高対応や国際配慮で低金利政策を行なった「利益相反」の反省もあって為替政策の権限は与えられず、日銀もそれを望んだ面がありました。

 

質問2:為替政策と金融政策が分権しているのは、先進国では日本だけでしょうか?

米国では、為替介入の決定権は財務省にあります。

日銀法改正の議論の際にも、

(1)為替介入の責任の所在は一元的でなくてはならない、

(2) 米国では為替介入は財務省が行うこと

になっており、為替レートではドル円が最も重要であるため、そのカウンターパーティーとして大蔵省(当時)が適切である、という議論がありました。

 

ただし、米国が為替介入を行う際には、通常は財務省とFRBが勘定を折半して行います。

ニューヨーク連銀のホームページでは、

(1)FOMCの指令によりシステム公開市場勘定(SOMA)、

(2)財務省の代理人として為替安定化基金(ESF)

を用いて為替介入を行うと説明しています(https://www.newyorkfed.org/markets/international-market-operations/foreign-exchange-operations)。

 

この意味で、FRBは完全に財務省の「代理人」に徹している訳ではありません日本が米国時間に為替介入を行う際に「委託」する相手もニューヨーク連銀です。

 

米国は1970〜80年代にドルを買い支えるための介入を何度も行いましたが、これは貿易赤字によるドル安に歯止めをかけて基軸通貨の地位を守ることが目的だったと思われます。

1996年以降に米国が為替介入を行なったのは、1998年6月の円買い・ドル売り介入、2000年9月のユーロ買い・ドル売り介入、2011年3月の円売り・ドル買い介入の3回のみで、いずれも日本やユーロ圏の事情に配慮した協調介入です。

このため、米国は日本にとって参考になるとは言えません。

 

欧州では、ECB、スイス国民銀行(SNB)が為替介入の権限を持っており、特にSNBは為替レートに積極的に関与しています。

ECBが創設される前には、欧州為替相場メカニズム(ERM)で為替レートの許容変動幅が設定されており、ERM加盟国には為替介入のみでなく金融政策を動員してでも自国通貨を防衛する「義務」がありました。

 

ただ、欧州の中央銀行が常に為替レートの管理に成功しているとは言えません。1992年の欧州通貨危機では、英国がジョージ・ソロスに負けてERMを離脱する有名なポンド危機も起こっています。

スイスは、フラン高を防ぐために2011年に導入した1ユーロ=1.20フランの為替レート上限を2015年に突如撤廃して市場の混乱を招きました。

 

質問3:基本的な理解として、金融緩和をすれば円安基調にあるので、円安に歯止めをかけるには大幅な金利引き上げを行えばいいと思っています。

日本が分権していることで、国益・国民生活の優先度が異なっていることはありませんか?

前述の欧州の例から、「為替政策と金融政策が一体化していれば、為替レートへの有効な対応ができるようになる」という見方幻想だということが分かります。

 

たとえば、前述のポンド危機では、BoEが1992年9月16日に政策金利を10%から12%、そして15%へと2回、1日に合計5%も引き上げましたが、ポンドを防衛することができませんでした(その後、ポンド安が進行したおかげで英国経済が回復しました)。

 

理論的には、為替レートを望むようにコントロールするには、完全なペッグ制にするか、資本規制を行うしかありません。

 

「国際金融のトリレンマ」と呼ばれる理論によると、

(1)為替相場の安定、

(2)金融政策の独立性、

(3)自由な資本移動

の3つのうち、同時に成立できるのは2つまでで、残りの1つは諦めなければなりません。

 

もし「為替相場の安定」を選ぶならば、「金融政策の独立性」か「自由な資本移動」のどちらかを諦めざるをえないのです。

 

ただ、日本は日銀法で通貨の「対内的価値」の安定にのみ責任を持つことが定められている以上、法的に不可能です。

一方、「自由な資本移動」を諦めるというのは、先進国としての地位を捨てるということです。

 

実現性を無視して純粋の頭の体操として考えるならば、「通貨統合」という方法もあります。

欧州各国の中銀がECBの傘下に入ったように、FRBに日銀を入れてもらって、「東京連銀」となるということです。

 

そうすれば円相場は対ドルで間違いなく安定します(というよりも、日本は円でなくドルを使うことになります)。

しかし、米国の政策金利(5.25-5.5%)が適用された場合、日本経済は耐えられるでしょうか?

 

本日は、「前編」の整理をお楽しみ頂き、明日の「後編」をは、明日配信します。

 

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