ドル/円は3月27日に一時151円97銭1990年以来の円安水準に達しました。

この直接のきっかけとなったのは、日銀の田村直樹審議委員が「ゆっくりと、しかし着実に金融政策の正常化を進める」と発言したことです。

(日本銀行HPより)

田村委員は昨年8月の講演で「物価安定の目標」の「実現がはっきりと視界に捉えられる状況になった」、「来年1~3月頃には(中略)解像度が一段と上がると期待している」と述べていたため(実際に日銀は3月に目標の実現が「見通せる状況に至った」としてマイナス金利の解除に踏み切りました)、市場参加者は田村委員が次の利上げの手掛かりを与えてくれるのではないかと待ち構えていたのです。

今年初めの段階では、「米国が利下げ、日本が利上げ」という組み合わせでドル安・円高に転換する、というのが市場の一般的な見方でした。

しかし、日銀は3月の政策変更時に「現時点の経済・物価見通しを前提にすれば、当面、緩和的な金融環境が継続すると考えている」と表明し、外国人投資家を困惑させました。

さらに、田村委員からも利上げを急ぐ様子が見られなかったため、「日米の金利差はしばらく縮小しない」という見方から円売りが加速したのです。

前述の田村委員の「ゆっくりと」という言葉は、英語のニュースで「slowly」と報じられました。

一方、3月25日に発表された1月会合の議事要旨、および28日に発表された3月会合の「主な意見」では、「ゆっくりと」という言葉は「deliberately」と英訳されています。

私の手元のジーニアス英和辞典で調べてみましょう。「slowly」は、「ゆっくりと、のろのろと」です。

一方、「deliberately」は、1番目の意味が「故意に、わざと、意図〔計画〕的に」で、2番目の意味が「(言葉・動作などが)慎重に、落ち着いて、ゆっくりと」となっています。

おそらく、日銀はこちらのニュアンスで外国人に伝えたかったのでしょう。

しかし、田村委員の講演は公式の英訳が同時に発表されなかったため、「slowly」という表現が独り歩きして「日銀でマイナス金利解除に最も積極的だった田村委員も追加利上げはあまりやる気がないらしい」という印象を与えてしまいました。

田村委員は講演後の記者会見で「ゆっくりと」とは年内に追加利上げがないという意味か、と質問され、「米国のように1年で5%利上げといったようなことになるとは考えてはおりません」と答えています。

さらに、「緩和的な金融環境」という表現についても、「利上げを一切しませんということはないと思っています」と述べています。

しかし、これも日本の記者とのやり取りであり、英語では伝えられていません。

為替市場では外国人投資家の影響力が強く、しかも最近ではニュースのキーワードに反応するようなプログラム売買(例えば、「緩和的」という表現でその通貨を売るなど)も行われています。

このため、日銀は英語での情報発信にもっと注意を払うべきではないかと思います。

そもそも、日銀が「当面、緩和的な金融環境が継続する」と表明していることにも問題があります。

日銀の白川元総裁は3月28日付のNikkei Asiaに英語で寄稿した論説で、この表現は「奇妙(curious)」であり、(1)日銀は本心では2%の物価安定の目標の達成に自信がないのではないか、(2)日本の政府債務が巨額過ぎて日銀は利上げが難しいのではないか、という2つの「仮説」を提示しています。

これには黒田前総裁に業績を全否定された白川氏の皮肉もあるでしょうが、外国人はそのような解釈をする可能性が高いでしょう。

日銀は、2006年に利上げを行った際にも「極めて低い金利水準による緩和的な金融環境が当面維持される可能性が高いと判断している」と表明していました。

おそらく、「緩和的な金融環境」という言葉で市場を安心させ、金利の急上昇を避けようとしているのでしょう。

しかし、当時とは異なり、現在の為替市場では円高でなく円安が問題です。円相場を安定させようとするならば、日銀は情報発信の仕方を再考する必要があるかもしれません。

例えば、米国のFRBが今後の利下げの可能性について、どのようなメッセージを送っているかを見てみましょう。

FOMC声明文は「委員会はインフレが持続的に2%へと向かっているという確信を強めるまで、目標レンジの引き下げが妥当になるだろうとは予想していない(The Committee does not expect it will be appropriate to reduce the target range until it has gained greater confidence that inflation is moving sustainably toward 2 percent)」と表明しています。

これは非常に分かりやすく、「利下げの可能性はあるけれども、それにはインフレがもっと下がる必要がある」というニュアンスが伝わります。

米国の市場参加者が毎月の物価統計に一喜一憂しているのはこのためです。

昨年後半に米国のインフレは順調に下がっていたのですが、今年に入って再び上昇しています。

ただ、これは米国経済の好調を反映した面もあり、その一方で景気が減速してインフレが低下した場合には利下げが期待できます。

これに対し、日銀はマイナス金利を解除しましたが、短期金利は0~0.1%の低水準であり、先行きについて「緩和的な金融環境が継続する」以外の手掛かりを与えてくれていません。

両者を比較すると、どちらの通貨が買われやすいかは一目瞭然ではないでしょうか?

3月27日の円安進行を受け、財務省・金融庁・日銀は三者会合を開催して市場を牽制しました。

さらに、28日に岸田首相が記者会見で為替について「行き過ぎた動きに対しては、あらゆる手段を排除せず適切な対応を採りたい」と表現したことも外国人投資家に注目されました。

介入警戒感に加え、先週後半から今週初めまで欧米がイースター休暇に入ったことで、円売りはいったん止まりました。

ただ、岸田首相は、異次元緩和の修正と「緩和的な金融環境が維持されること」を日銀が表明したことは「適切である」、と植田総裁との面談で伝えたとも述べました。

「緩和的な金融環境」という表現が円安の一因となっていることは認識されていないようです。


為替は様々な変動要因があり、金利差以外に国際収支も重要です(この点についても、機会があれば説明したいと考えています)。

しかし、現時点では、「日銀が緩和姿勢を全く変えていない」という誤解を解くことが、円安是正のためには最も重要だと思われます。