私は、愛知県安城市の養鶏・養卵業5代目です。実は、前職は、総合機械メーカー研究員でした。実家が、日本でも有数の養鶏・養卵業地区で小規模の養鶏・養卵業を営んでいました。

幼少の頃から、家族旅行にも行けず、毎朝毎晩鶏舎の掃除と餌の配合の手伝いをさせられていました。心の中では、鶏糞と長靴の環境から、スーツ・ネクタイの生活を夢見ていました。

親の期待を裏切り、上京し大学時代一度も実家に戻らず、卒業後もバイトで学費を稼ぎ大学院へ通い、某機械メーカーの研究員となり、夢の生活を手に入れました。

結婚もし、子供も授かった一方で、実家はいずれ廃業することを覚悟していました。

運命とは面白いもので、研究室では卵の殻の研究をすることになり、正直行きたくはありませんでしたが、ある日故郷の愛知県安城市の養鶏場や研究所を訪問することになりました。

その後、研究所に戻り調べていくうちに、養卵業者がいかに薄利ビジネスであるかに、数字・統計を見て驚愕することになりました。あれだけ努力してこの程度の価格なのかと。

すぐさま、実母にこそっと電話して、実際実家に「貯金がいくらあるんだ?」と聞いたら、 「JAに〇〇円あるけど借金もある。東海銀行に(三菱UFJ銀行とは理解していない)〇〇円あるけど、融資はしてくれない」。

つまり、あとは夫婦二人で月13−5万の年金しか今後期待できない実態を知りました。毎日粗食で、一切の贅沢もせず、子供3人を大学まで行かせた両親の顔が脳裏にこびりつき、この業界の行く末を真剣に考えるようになりました。

そこに追い打ちをかけた鳥インフルエンザの被害と円安による飼料価格高騰。幸い使用人は居ないので人件費高騰は回避できているものの、これ以上の事業存続は無理だ、と親不孝ながら判断せざるを得ませんでした。

しかし、ただ廃業するだけが解答なのかと自問自答するようになり、2年越しで5つのキーワードに辿り着きました。

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