最近、「メディア・リテラシー」や「金融リテラシー」など、リテラシー(literacy)という言葉をよく目にします。しかし、日本では言葉だけが先走りし、本来の定義や目的から完全に乖離しています。正直に言って、国際基準からは「許し難い」状況です。日本人の血が入っている者として、疑義を呈さずにはいられません。
リテラシーとは、文字や言語を理解し、読み書きができる能力を指す言葉です。しかし、単なる「読み書き能力」ではありません。簡単に言えば、「応用力」です。
私は米国の大学院でMBAを取得し、投資銀行という国際金融の「ど真ん中」でトレーディングに従事した後、ある事がきっかけで国連機関に誘われ、現在に至ります。その経験から言えることは、「時代に合った」、「稼げる」リテラシーしか意味はない、ということです。荒っぽい言い方をすると、「自分にとって得になるかどうか」が全てです。それがリテラシーというものです。
まず、現在の日本で最も欠けていると思われる「メディア・リテラシー」(Media Literacy)について考えてみましょう。