20世紀最大の政治劇である「香港返還」からの25年をTurn Red氏が語ってくれた際に、「アジア通貨危機」に触れていました。当時、私は米系外資系銀行の香港支店で働いており、「アジア通貨危機」のパニックを目の当たりにしました。
「アジア通貨危機」とは、1997年7月から始まり、タイを中心に広がったアジア各国の通貨急落です。この危機により、タイ、インドネシア、韓国などの国々は大きな打撃を受け、国際通貨基金(IMF)の支援を受ける事態となりました。
新興国における通貨不安はアジアだけでなく、1998年8月17日に始まったロシア通貨危機や、1999年1月のブラジル通貨危機など、他の地域でも同様の混乱を引き起こしました。また、日本の金融機関も多額のアジア向け融資が不良債権化し、1998年の金融危機の原因の一つとなりました。
「アジア通貨危機」は、アジアと世界を激変させただけでなく、日本にも大きな損害と悲しみを与えた「危機」でした。私にとっても忘れられない悲劇がありました。
某日系銀行の香港支店長が、東京の本店で毎年開催される拠点長会議に出席するため1998年4月に日本へ向かいました。各拠点の状況や今後の見通しをトップの頭取や取締役などに説明する会議です。