自公連立が終了してしまい、この記事の意味が薄れてしまいましたが、米国人の意見として読んでください。
前編では、高市早苗氏が権力獲得のために行った、麻生氏との「パトロン政治の取引」と、「靖国問題の棚上げ」という二つの決断を分析しました。
しかし、ここで皆さんに聞きたいことがあります。
なぜ、日本の総理を目指す政治家は、総裁選の最中にはあれほど威勢が良く、力強い主張を掲げるのに、一度トップに就くと、まるで別人かのように静かで穏健な実務家になってしまうのでしょうか?
私たちアメリカの政治は、常に「強いリーダー」を求め、その信念を最後まで貫くことを期待します。
トランプ大統領がいい例です。
しかし、日本の政治には、リーダーの「炎」を静めてしまう構造的な鎖が存在します。
今回は、高市氏のケースを通して見えてくる、日本の指導者を待ち受ける「予測可能なパターン」と、権力に潜む冷徹な現実を検証します。