「英語ができない」は幸福の証か、それとも成長の障害か?
日本の「英語ができない」は、幸福の象徴?
「英語ができたらいいな」と軽く思える日本。
実はこれ、「できないのが普通」だからこその感覚です。
逆に、多くの国では「できないと生きていけない」のが現実。
たとえば、植民地だった国々や隣国と頻繁に接する国々では、言語の壁を越えなければ生存そのものが危うかった。
日本はどうでしょう?自国の言葉だけで教育もビジネスもある程度回せてしまう。
これ、実は「過保護」という幸運の副産物です。
しかし、その「幸運」が国際社会では足かせになることも少なくありません。
外資系企業が感じる「日本的非効率」