石破首相は11月5日の米大統領選挙に迅速に対応しました。
日本時間の6日、トランプ氏が勝利宣言を行うと即座に、祝意を表明するとともに、「政権の最重要事項である日米同盟の更なる強化及び『自由で開かれたインド太平洋』の実現に向け、緊密に連携していきたい」という旨の祝辞を送りました。
そして、7日午前には約5分の電話会談を行って日米同盟を一段と深化させていく方針を確認し、「非常にフレンドリーな感じがした」と感想を述べました。
報道によれば、11月18-19日のG20ブラジル・サミットからの帰国途中に米国に立ち寄り、トランプ氏と対面することを検討しているようです。
2016年にトランプ氏が当選した直後の11月17日、安倍元首相はペルーで11月19-20日に開催されるAPEC首脳会議に出席する前に米国に立ち寄り、トランプ・タワーを訪問しました。
皮肉なことに、石破首相はかつて政敵だった安倍氏の前例を見習おうとしているようです。
安倍氏は回顧録で、トランプ氏は大統領選で「TPPに反対し、為替についても日本はインチキをしていると言っていました。
トヨタの批判もしていた。
あたかも同盟を軽視するような発言もありましたね」とし、「すぐに信頼関係を築かなければならないと思い」、当選のお祝いの電話をして会う約束を取り付けたと語っています。
ただ、元朝日新聞社主筆の船橋洋一氏の近著『宿命の子 安倍晋三政権クロニクル』によれば、これは周到に準備されたものだったようです。
この本によれば、安倍氏がトランプ氏と会おうと思ったのは2016年9月の国連総会に出席した時でしたが、トランプ氏は不在だったため、代理としてウィルバー・ロス氏(トランプ政権の商務長官)と面会しました。
そして、大統領選挙投票日の3日前に、安倍氏はトランプ陣営に「当選のお祝いの電話をしたい」というメッセージを送りました。
この作戦を指揮したのは菅官房長官(当時)でしたが、菅氏は「もし、トランプがダメだったらどうしますか?」と心配する外務省幹部に、「ダメだったらほっておきゃいいだけの話だ」と述べたそうです。
さらに、佐々江駐米大使がトランプ氏の娘婿のクシュナー氏に接触し、電話会談をセットしました。
安倍氏は回顧録で、(1)安全保障(中国の軍備増強と日米同盟の重要性の強調)、(2)経済関係(日本企業の米国への投資と雇用の説明)、(3)ゴルフの約束、の3点が会談の狙いだったと説明しています。
安倍氏はトランプ氏と米国で3回、日本で2回の合計5回ゴルフをともにプレイして親密な関係を築きましたが、石破首相にとってそれよりも重要なのは安全保障と経済関係でトランプ氏を説得できるかどうかでしょう。
安全保障については、石破首相が「自由で開かれたインド太平洋(FOIP:Free and Open Indo-Pacific)」に言及したことは重要です。
FOIPは安倍氏が第1次政権時代の2007年のインド国会演説「二つの海の交わり」で最初に提唱した構想ですが、2016年8月のナイロビでの演説で「日本は,太平洋とインド洋,アジアとアフリカの交わりを,力や威圧と無縁で,自由と,法の支配,市場経済を重んじる場として育て,豊かにする責任をにないます」と改めて打ち出しました。
トランプ氏はFOIPのアイデアを取り入れ、2017年11月のベトナムでの演説で「自由で開かれたインド太平洋はそれぞれ輝く星なのだ、どの国もどこかの衛星ではない」と呼びかけました。
安倍首相は2018年1月の施政方針演説で、「『自由で開かれたインド太平洋戦略』を推し進めます」と宣言しました。
2018年5月には、米軍の太平洋軍司令部(USPACOM)がインド太平洋軍司令部(USINDOPACOM)に名称変更されました。
前述の船橋氏の『宿命の子』によれば、2020年11月の大統領選後、バイデン政権のトランジション・チームのアジア担当だったカート・キャンベル氏との会議で、日本側は「この言葉はトランプ語ではありません。それはアベ語です」と説明し、FOIPという言葉は残されました。
石破首相が就任前に語っていた「アジア版NATO」でなく、FOIPを実現する意志を表明したことは重要だと思われます。
ただ、それよりも問題になるのは貿易と為替でしょう。
トランプ氏は7月16日のブルームバーグのインタビューで、「偉大」で「非常に親しい友人」だった安倍氏を悼む気持ちを示しながらも、「日本ではシボレーを1台も見ない」と不満を伝えていたことを思い起こしています。
そして、「ドル高・円安は大幅で、為替の問題がある」と述べ、為替のせいで建設機械メーカーのキャタピラーはコマツに負けていると批判しています。
船橋氏によれば、「トランプは、大統領選挙の時からドル高が米国の製造業の国際競争力を失わせており、巨大な貿易赤字をもたらしていると批判していた(…)トランプ政権が本格的なドル安政策に乗り出してくると、円高に逆戻りさせられる危険性がある。安倍も麻生太郎財務相もそこを一番、警戒した」。
そして、「トランプが大統領選挙でもう一つ、繰り返し攻撃していたのは日欧の自動車メーカーの米国市場への巨額の輸出であり、それに伴う米国内の雇用の創出だった。(…)[トランプは]いまもなお1980年代の日米貿易戦争を戦っているように見える。ただ、日本の自動車企業の米国での現地生産は評価している。現地生産と雇用創出を訴えるのがトランプ対策では得策だ、と日本側は受け止めた」という。
ブルームバーグのインタビューを読む限りでは、トランプ氏の認識は当時から変化していないようです。
安倍氏はトランプ氏の就任後に対面で14回、電話で35回の会談を行いました。船橋氏によれば、「安倍がトランプとこれだけの回数の会談を重ねたのは、トランプとの会話を『つねにアップデートしないと、元に戻ってしまう』からだった」。
「トランプには1980年代の日米貿易摩擦時代の対日観がこびりついている。(…)『少しは共通理解ができたかなと思っても、次回、会うとまたゼロから積み上げなければならない。何回、議論してもトランプの理解や省察が深まることはまずない』。従って、『常に会い、アップデートし、刷り込んだ瞬間にトランプから指示を出してもらう』ことを安倍は心掛けた」。
『宿命の子』には、安倍氏がトランプ氏とどのようにしてうまく付き合ったかについて語った言葉も記されています。
私は以下の3点が重要だと思いました。
第一に、「安倍は、トランプが政策そのものにはそれほど関心がなく、政策ペーパーを読まないし、発言要領も見ないことを知り、政策の細かい点は省略し、ストーリーで語り合うことを最初から心がけた」。
第二に、「トランプは、”負け組“、トランプの言葉を使えば”負け犬”を何よりも嫌い、軽蔑する。彼にとっての価値基準は、勝つか負けるか、そして、どれだけ勝つか、である。(…)安倍が2017年の衆議院選挙、2019年の参議院選挙で勝利を重ねたことが「勝ち馬」のイメージを増幅した」。
第三に、「トランプは説教されることを極度に嫌うことを安倍は早い段階で察知した。(…)『トランプってね、説教されたら、絶対『うん』とは言わないんだよ』と安倍は秘書官に言った」。
石破首相が安倍氏の教訓に学び、トランプ氏と良好な関係を構築できるかどうかは、石破政権の命運のみでなく、日本経済と金融市場にも大きな影響を及ぼすことになるでしょう。