先日、米国人である私が「日本の社寺の不思議」に魅了されたことは、お伝えしました。
銀座や赤坂をふらふらと歩いていると、狐の像が「早く帰りなさい」と言わんばかりの目で、こちらを見つめます。
東京の繁華街には、「お稲荷さん」が多く祀られています。
しかし、「お稲荷さん」って何者なのでしょうか?
なぜ、「狐」が祀られているのでしょうか?
狐は、国獣なのでしょうか?
さらに混乱を招くことに、「お稲荷さん」が祀られている場所は統一されておらず、神社も寺もありました。
謎は深まるばかりです。
東京の「お稲荷さん」をいくつか参拝してみると、ほぼ神社でした。
しかし、日本三大稲荷の一つである豊川稲荷(愛知県豊川市)の東京別院は、曹洞宗(禅宗)の寺だったのです。
なぜ統一されていないのでしょうか?
この疑問は尽きることがありません。
そこで、東京に一番近い「日本三大稲荷の豊川稲荷へ行ってみよう」と、新幹線に乗って豊川稲荷へ行ってみました。
前回の東京の史跡ガイドさんに豊川のベテラン史跡ガイドさんを紹介してもらい、地元の酒場で話を聞いてきました。
今回は、その時の話をお伝えしようと思います。
私が東京に戻るまで、ほとんど史跡ガイドさんの話を信じていました。
しかし、この寄稿直前に、知識豊富な日本人から善意の指摘を受け、ガイドさんの偏った説明が存在したことを知りました。
「廃仏毀釈」に関する深い知識を持たなければ、日本の寺社について、語ることはできないと学びました。
私の浅はかな知識で、日本の寺社について語るべきではないと深く反省しています。
それでも、私の経験を共有することで、日本の方々が寺社についての理解を深める機会を持つことは有益だと思います。
どうぞ、お付き合いください。
豊川稲荷は、狐の村だった。 しかし・・・・